横浜市6大事業

横浜市6大事業
asahi 85

3月分のコラムをアップするのを忘れておりました。申し訳ありません。まちづくりに関わっていると、その街の歴史がすごく気になります。関内は日本の開港をになった街ですが、もっと目を広く転じると、横浜のまちづくりもすごく興味深い物があります。

昨年9月に関東大震災後の三大事業の話をしましたが、その第2弾的な事業が6大事業と言われているもので、今の横浜の姿があるのは、この6大事業のお陰です。6大事業とは、飛鳥田市政のときに横浜市が抱えている所問題をどう解決したらいいのかという問題意識から生まれました。

横浜市は、民間のシンクタンク環境開発センターに調査を依頼し、浅田孝・田村明両氏によってまとめられ、1964(昭和39)年に「横浜市将来計画に関する基礎調査報告書」として提出され、その主な投資事業がクローズアップされ、6大事業と呼ばれるようになりました。その後、この6大事業の推進者として田村明氏は横浜市(最後は技監、企画調整局長)に転職され、都市デザインの基礎作りと多くの人材を育てたのでした。

【背景】

1.人口の急増
高度経済成長にともない人口が急増したにも関わらず、環境整備、機能強化がなされていなかった。
2.財源の不足
こういった諸問題に対して、税収が不足していたのであるが、根本的な税財政制度の改善が必要であった。
3.土地の高騰
乏しい財源に対して土地が高騰し、公共事業に費やす費用が年々増え、地価の抑制を含めた土地制度を変える必要があった。

横浜市は、「港湾都市」「工業都市」「住宅都市」の3つの顔があり、その3つの顔を効率的にまとめ上げる施策として、6大事業が推進されたわけである。

1.都心部強化事業(みなとみらい事業)
都心部強化:連合国軍最高司令官総司令部によって横浜市中心部が接収され、その接収解除が遅れたことによる戦後復興の遅れの対応。
中心部の二極化(旧来の中心部である関内・伊勢佐木町地区と、新たな中心部として発展し始めていた横浜駅周辺地区)への対応として、2つを繋ぐ新都心みなとみらい地区を開発・造成。この時初めて都市デザインという手法を導入。

2.金沢地先埋立事業
金沢地先埋立事業:都心部強化事業に伴い、市中心部に混在する工場の移転用地の造成、住宅の確保も目的として、推進された。
工業地区 金沢工業団地・住宅地区 金沢シーサイドタウン、新交通システム金沢シーサイドラインを建設した。レジャー施設として、海の公園・八景島を造成し、お休みの時は今でもにぎわいを見せている施設となっている。

3.港北ニュータウン建設事業
港北ニュータウン:東京のベッドタウン化に伴う、スプロール現象防止のためのニュータウンを建設した。結果として、横浜の人口と税収を支える事業となったが、東京のベッドタウン化にともない「横浜都民」と言われる現象も生み出した。交通手段として、広域幹線道路・横浜市営地下鉄を整備・建設し、横浜全体の人の流れを作り出している。

4.高速鉄道<地下鉄>建設事業
高速鉄道(地下鉄)建設事業:交通の骨格を形成する高速鉄道(横浜市営地下鉄)を建設。中心部と郊外を結ぶアクセスを強化して、臨海部と北部との人の流れを作り出している。
市営地下鉄とバスは、横浜市電・横浜市営トロリーバス廃止に伴う代替交通手段となっている。

5.高速道路網建設事業
高速道路網建設事業:交通の骨格を形成する高速道路・有料道路を整備した。
横浜市中心部の道路混雑の解消を目的として、業務交通(本牧埠頭へ向かうコンテナトラック)・通過交通の分離のために、 首都高速神奈川1号横羽線・首都高速神奈川2号三ツ沢線・保土ヶ谷バイパス・首都高速神奈川3号狩場線・首都高速湾岸線・横浜横須賀道路・横浜新道を建設した。都心部ではかつてコンテナ道路と言われていた本町通りもコンテナ車をほとんど見かけることなく、環境が整備されました。さらに最近では、首都高1号線から第三京浜、さらには東名高速道路までを結ぶ首都高横浜北西線が完成し、一層便利になりました。

6.横浜港ベイブリッジ建設事業
横浜港ベイブリッジ建設事業:業務交通の分離による、横浜市中心部の混雑緩和。
東京湾岸地域から本牧埠頭へのバイパス道路となる首都高速湾岸線を建設したことに伴い、新しい横浜のシンボルの形成を兼ねた、首都高速湾岸線の横浜ベイブリッジを建設した。ベイブリッジの下には、一般道が建設され、本牧ふ頭と大黒ふ頭の利便性が増しました。

参考資料:

「調査季報28号・特集/六大事業の経過と今後の方向(1971年3月発行)」

「横浜市民生活白書 昭和五〇年 私の横浜(1974年12月発行) 23 六大事業」